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東京高等裁判所 平成5年(ネ)817号 判決 1994年7月05日

主文

一  原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。

二  前項の取消部分に関する控訴人の請求を棄却する。

三  控訴人の控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。

理由

一  当事者の申立て

1  平成五年(ネ)第八一七号事件

控訴人は適式な呼出しを受けながら本件口頭弁論期日に出頭しないが、当裁判所が陳述したものとみなした控訴状その他準備書面の記載によると(なお、以下において、控訴人の陳述として記載してある部分はすべて同じである。)、控訴人は、「原判決を以下のとおり変更する。被控訴人は、控訴人に対し、金二一〇万円及びこれに対する昭和六一年四月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決(当審において、控訴人は、訴外甲野春子《以下「春子」という。》から、同人が国に対して有する損害賠償請求権の譲渡を受けたとして、右に係る訴えの追加的変更《金一〇五万円及びこれに対する昭和六一年四月八日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払請求を内容とする。》を求めた。)を求め、これに対し、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決並びに当審における訴えの追加的変更が許される場合は右追加的変更に係る請求を棄却するとの判決を求め、なお、当審での訴えの追加的変更を許さない旨の裁判を求める旨述べた。

2  平成五年(ネ)第九七八号事件

被控訴人は主文第一、二、四項同旨の判決を求め、控訴人は、「被控訴人の控訴を棄却する。控訴費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、以下のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決二枚目表九行目の「二〇回以上にわたつて重ねて、」を「別表のとおり合計二一回にわたり、」に、同一一行目から同裏一行目の「面会を拒否されたことを理由に、国家賠償を求めた。」を「右のとおり面会を拒否され精神的苦痛を被つたことを理由に、国家賠償法一条一項に基づき慰謝料の支払を求めた。」に改め、同三枚目表一行目の「3」の次に「(一)」を付加し、同六行目から九行目までを「(二)春子は、別表のとおり、一四歳に達するまでの間合計二一回にわたりハナらと共に東京拘置所に来所して控訴人との面会の許可を申請したが、拘置所長はいずれも規則一二〇条を理由に不許可とした《以下これを『本件各処分』という。》。」に改め、原判決末尾に別紙の別表を付加する。)。

(控訴人)

1  当審における追加的請求について

(一) 追加的請求に係る請求原因

(1) 春子は、昭和五八年三月二九日から昭和六一年四月八日までの間、別表のとおり合計二一回にわたり控訴人との面会を拘置所長に申請したが、同所長は、規則一二〇条に基づき右面会をすべて不許可とした。そのため、春子は多大の精神的苦痛を被つた。右は法務大臣が規則一二〇条を速やかに改廃すべき職務上の義務がありながらそれを怠つたという違法行為に起因するものである。

なお、監獄法上の接見は、外部の一般人と在監者との間の情報や意思の交換手段であつて、憲法二一条が保障する表現行為の一形態であることは明らかであり、かつ、法自体が外部の一般人による接見申請権を認めていることも明らかであるから、外部の一般人が在監者と接見する利益の違法な侵害が国家賠償の対象となることは疑問の余地がない。

(2) 最高裁判所は、平成二年七月九日、規則一二〇条を違法、無効とする判決を下した。春子の法定代理人である甲野松子は、同日、右判決を知つた。

(3) 松子は、法務大臣が規則一二〇条を廃止せず、放置したことに起因して春子が被つた前記の精神的苦痛についての慰謝料請求権を、平成五年四月一日、控訴人に譲渡することとし、控訴人もこれを承諾した。

そして、松子は、法務大臣に対し、平成四年四月二二日、右譲渡を通知し、右通知は同年四月二三日送達された。

(4) 法務大臣の前記不作為に起因して春子が被つた精神的苦痛の慰謝料としては、面会不許可処分一回につき金五万円、合計金一〇五万円が相当である。

よつて、控訴人は、被控訴人に対し、慰謝料合計金一〇五万円及びこれに対する昭和六一年四月八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二) なお、確かに、春子が受けた精神的苦痛の程度やその法的評価について被控訴人が争えば、その点についての審理が必要となるが、右の争点は並行して審理することが可能であるから、その審理のために本件訴訟が著しく遅延することはあり得ない。審級の利益についても、第一審を省略することで不利益を受ける可能性があるのは控訴人であつて、被控訴人ではないから、本件で訴えの変更は許さない理由にはならない。

2  損害額について

本件における賠償額を認定するに当たつては、以下の諸点を考慮すべきであり、控訴人の請求する慰謝料額は決して過大なものではないというべきである。

(一) 前件訴訟の第一、二審判決は、控訴人本人のほか松子及び東京拘置所職員二名の証人尋問等の証拠調べをした上で、一回の面会不許可処分により控訴人に五万円の損害が生じると認定したのであるから、本件でも、本件各処分により控訴人の被つた精神的損害の賠償額については、同一の認定がされてしかるべきである。

(二) 春子の家族は成人男性のいない母子家庭であつて、春子は父親や兄に代わる存在を必要としていた。控訴人は、春子のそのような気持に応じようとして心からの愛情をもつて春子に接していたのであり、控訴人が受けた精神的苦痛は実の父親や兄が感じるであろうそれよりもむしろ大きかつたのである。

(三) また、本件各処分当時既に控訴人は死刑判決を受けていたという事情も考慮されなければならない。本件のような接見妨害が続けば、控訴人はついに春子に一度も会えないで死に至る可能性があつた。そのような切迫した状況の下で、春子に一日も早く会いたいという控訴人の願いを三年以上も拒まれ続けた控訴人の苦痛は大きかつた。

(四) 本件の第一次的加害者は人権を守るべき立場にある法務大臣であり、その法務大臣に人権を侵害されていたことを知つて、控訴人は行政や法制度に対する信頼を深く傷つけられたが、歴代の法務大臣は前件の最高裁判決により規則一二〇条の違法性が明らかになつた後でも自分の過ちを認めていない。

(五) 前件の訴訟を遂行するため控訴人は相当額の費用を負担したが、前件訴訟は形式的には敗訴であつたため、これらの費用は結局一円も償還されなかつた。

3  被控訴人の主張に対する反論

(一) 本件不作為の違法性に関する主張について

規則一二〇条が法の一義的な文言に反していれば本件不作為が違法となることはいうまでもないが、仮に同条が法の一義的な文言に反していないとしても、そのことは一般人にとつて同条の違法性を知ることが容易でないことを意味するにすぎず、本件不作為の違法性を否定する理由にはならない。

(二) 法務大臣の無過失の主張について

(1) 前件訴訟の第一、二審判決が規則一二〇条の有効性を一応肯定したとしても、それは規則一二〇条の文言からみてかなり無理のある制限的解釈を加えた上でのことであり、そのような制限を加えない限り規則一二〇条は無効と解釈せざるを得ないことを右の二つの判決も暗黙のうちに認めていた。したがつて、前件訴訟の第一、二審判決の存在は、法務大臣が規則一二〇条の違法性を認識し得る可能性がなかつたことを根拠付けるものではない。

(2) 刑事施設法案において幼年者の接見規制を全廃するという結論を法務省当局が出した理由は、幼年者の接見規制を必要とする状況が既に消滅していたことにあると推論される。そうだとすると、法務大臣は規則一二〇条が不合理な人権制限を在監者とその相手方に課すものであることを充分認識していたことが推論できる。

なお、被控訴人の主張するところによつても、当時の法務大臣は、「幼年者の心情保護という要請は、必ずしも拘禁施設の管理、運営する者の責任において実現するまでもなく、両親等幼年者を監護、育成する者の責任に委ねる等の手段によつても担保し得るものである。」との認識を有していたことになるから、当時の法務大臣は、幼年者の心情保護のため在監者との接見を一律に制限する必要はなく、監護者の同伴又は同意を条件に幼年者の接見を許しても、幼年者の心情保護の要請は満たされることを明確に認識していたことになる。そうすると、法務大臣は、憲法の原則に従い、人権の制限を必要最小限の範囲にとどめるべく、速やかに規則一二〇条の文言を改正するか、あるいは同条の運用に関する訓令通達を発するなどして監護者の同伴又は同意のある幼年者の面会を許すべき措置を講ずるべきであつた。当時の法務大臣がこのような措置を講じていたなら、控訴人と春子との面会が制限されることなく、本件損害の発生は完全に避けることができたのである。したがつて、幼年者の接見を制限する規定が刑事施設法案中に設けられなかつた理由が被控訴人主張のとおりであつたとしても、控訴人が法務大臣の職務上の過失により違法に損害を加えられた事実には変わりがない。

(3) なお、このように、法務大臣が本件各処分以前に規則一二〇条の違法性を認識していたか、認識し得る状態にあつたことを推認される有力な根拠がある以上、被控訴人指摘の当時の学説や判例の状況は法務大臣の過失を否定する根拠にはならない。

(4) 法務大臣は、規則一二〇条の違法性を認識し得る立場にあつた以上、規則一二〇条を改廃せず放置した場合に、違法な面会不許可処分が発生することを容易に予見可能であつたというべきである。

被控訴人は、法務大臣が規則一二〇条を改廃しなかつたことと本件各処分との間に因果関係がないと主張するが、そのようにいうためには、規則一二四条は春子の接見のようなケースに許可を与えることを予定したものであるにもかかわらず、本件では拘置所長が判断を誤つてその接見を不許可としてしまつたものであるという事情が認められなければならない。しかるに、法務大臣は、春子のケースには規則一二四条を適用する余地はないという立場を一貫して採り続けてきたのであり、前件の最高裁判決も春子のケースに規則一二四条を適用しなかつた拘置所長の行為に過失がないと認定したのであるから、被控訴人の主張は成り立たない。

(三) 消滅時効の主張について

(1) 本件不作為のように、連続性があり、全体として一個の行為とみなされる加害行為で、その行為から生ずる損害の内容や程度が事前に予測できないようなものについては、たとえ既にその違法性が知られている場合でも、当該行為が止むまでは消滅時効は進行しないと解すべきである。それは加害行為の最中に被害者が訴訟等の行動を起こすことが困難であるからである。加害行為がされている最中に被害者が損害賠償請求権を行使することは種々の予測し難い危険や困難を伴うのであつて、請求権の行使を被害者に期待することは酷であり、不当というべきである。したがつて、仮に控訴人が本件不作為の違法性を既に知つていたとした場合でも、本件不作為に係る損害賠償請求権の消滅時効は、本件不作為の継続中は進行しないと解すべきである。

(2) 普通人は、正規の法令やそれに基づく公的行為を信頼しなければ一日たりと安心して生活できないのであつて、その適法性をみだりに否認するようになると、社会秩序が成り立たなくなるのである。それゆえ、普通人は正規の法令やそれに基づく公的行為の違法性について裁判所よりも先に認識する義務はなく、認識することを期待されない立場にある。このような点からして、普通人は、法令や公的行為の違法性が裁判所の判決等によつて公的に確定されない限り、その法令や公的行為から生じた損害賠償請求権の消滅時効が進行するという不利益を受忍すべき義務を有しないというべきである。そうであるとすれば、本件不作為のように法律に基づく公的行為であつて、その違法性が一見明白でない、確定判決があるまで取りあえず適法の推定を与えることが相当と解される行為については、社会秩序を維持し、社会生活の法的安定を確保するため、被害者の違法性の認識の有無や程度にかかわりなく、当該行為を違法とする確定判決があるまで消滅時効は進行しないことになつているというべきで、前件の最高裁判決以前の控訴人の本件不作為についての違法性の認識の有無や程度を論じることは無意味である。結局、本件不作為に係る損害賠償請求権の消滅時効は本件訴訟の確定判決以前には進行しないというべきである。

また、右のような説を採らないとしても、本件不作為のような公的行為については、「通常人なら不法行為成立の蓋然性を認識するであろうような要件事実を認識すること」が消滅時効の進行の要件とされるべきである。そして、普通人が本件不作為について不法行為の成立を蓋然的に認識するためには、規則一二〇条が違法である事実を知ることが必要不可欠であるが、そのためには、権威ある公的機関、すなわち裁判所におけるこれを違法とする判断が確定した事実を普通人が知ることを要するというべきである。普通人が単に規則一二〇条を違法とする見解を知り、その見解を正当と考えたとしても、それだけでは規則一二〇条が違法である事実を普通人が認識したことにはならないのである。そうすると、本件不作為に関し、控訴人が「通常人なら不法行為成立の蓋然性を認識するであろうような要件事実」を認識し得る状態になつたのは、規則一二〇条を無効とする前件の最高裁判決が下された時ということになり、それ以前には消滅時効は進行しないというべきである。

なお、確かに、控訴人は前件訴訟の訴状で法務大臣の過失を予備的に主張したが、右主張は後に撤回したから、右事実は控訴人の違法性の認識を論じる根拠にはなり得ない。

(3) なお、被控訴人の主張するように、被害者が内心において加害行為を違法と考えるに至つたときから消滅時効が進行すると解した場合には、後日、被害者がその考えを改めて当該行為を適法と考えるに至つた場合には、消滅時効の進行は当然その時点で中断又は停止するのでなければ首尾一貫しないが、民法はこのような被害者の内心の考えの変化をもつて消滅時効の中断ないし停止事由としていないのであり、民法が被控訴人のような考え方を採つていないことは明らかである。

(4) 仮に本件不作為に係る控訴人の損害賠償請求権につき消滅時効が完成しているとした場合でも、以下のとおり被控訴人が右消滅時効を援用するのは、信義則に違反する又は権利の濫用に当たり許されないというべきである。すなわち、被控訴人は、前件の最高裁判決が下される以前には法務大臣が規則一二〇条の違法性を認識していた事実はないし、またこれを知る能力もなかつたと主張するのであるが、そうであればなおさら、一私人にすぎない控訴人が外観上有効な法令として現に運用されている規則一二〇条の違法性を知ることは困難であつたというべきである。このように、被控訴人において、最高度の注意義務が要求される法務大臣でさえも前件の最高裁判決が下される以前には規則一二〇条の違法性を知らなかつたと主張する以上、被控訴人は、一私人にすぎない控訴人が法務大臣の本件不作為により被つた損害の賠償請求権について、前件の最高裁判決が下される以前に遡つて消滅時効の進行が開始し、完成したと主張することは許されないというべきである。

(被控訴人)

1  当審における訴えの追加的変更について

(一) 本件訴えの変更の申立ては、請求の基礎に同一性がないから、許されないというべきである。すなわち、本件において従前の請求の請求原因とされたのは、本件各処分により控訴人自身が精神的苦痛を被つたということであつたが、追加的変更に係る請求の請求原因は、本件各処分により春子が苦痛を被つたということである。確かに、右の両請求は、いずれも同一の不許可処分に起因する慰謝料請求であるから、一連の紛争に関するものといえなくもないが、精神的苦痛を被つた者がそれぞれ別個の人間である以上、本来被害者とされる者ごとに被害、苦痛の程度等について審理が必要となるはずであり、一般的に他の者についての審理の結果が直ちに別の者についての審理に利用し得るという関係にはない。特に本件では、春子は処分当時一四才未満であつたのであるから、そのような幼年者の精神的苦痛については春子自身についての証拠調べ等従前の審理とは別個の審理が必要になることが予想されるものである。その上、法は在監者とこれを拘禁する人的、物的施設としての監獄との間の法律関係を規定しているものであつて、在監者ではない外部者たる一般人の権利ないし法的地位を直接規定していないのであるから、在監者に対して接見、差入を求める外部の一般人の権利ないし自由が法律上一般的に保障されており、法ないし規則がそれを制限していると考えることはできないのである。したがつて、本件各処分により被つたとする春子の精神的苦痛は、控訴人の被つたとする精神的苦痛とは本質的にその性質を異にするものであるのみならず、そもそも春子には控訴人と接見する権利ないし自由が保障されてはいないのであるから、同人は、国家賠償法上それに対する侵害が違法とされるところの「保護に値する利益」を有していないというべきである。追加的請求についてはこのような全く別の法的論点が問題となるのである。

そうすると、仮に本件で訴えの追加的変更が許されるとすると、訴訟の遅延が生ずるばかりでなく、新たな請求については被控訴人の審級の利益が害されることになるのは明白である。

以上のような点を考慮すると、結局、本件で控訴人が申し立てている訴えの追加的変更に係る請求と従前の請求との間には、被控訴人の被る不利益や訴訟の遅延等が生ずるのもやむを得ないとするほどの共通性、一体性を肯定することができないのであり、本件訴えの変更は従前の訴えと請求の基礎を同一にするものではないといわなければならない。

(二) 仮に本件訴えの追加的変更が許される場合には、被控訴人は、控訴人が債権譲渡を受けたところの損害賠償請求権についても、法務大臣が規則一二〇条を改廃しなかつたことについては違法性がなく、また、法務大臣には過失がなかつたことを主張するとともに、右損害賠償請求権につき既に完成している消滅時効を援用する。

2  行政庁による立法不作為の賠償責任について

(一) 法務大臣の行為の違法性について

本件で控訴人が法務大臣の違法行為として主張しているものは、法務大臣が平成三年八月七日まで規則一二〇条を改廃しなかつたという行政庁の立法行為(不作為)である。しかしながら、このような行政立法行為は、以下のとおり、国家賠償法一条一項の適用上、原則として違法と評価されることはないというべきである。

(1) すなわち、国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれに賠償する責に任ずることを規定するものである。したがつて、当該行政立法の内容が違憲、違法であるからといつて、かかる内容の立法を制定したこと若しくは改廃しなかつたことが直ちに国家賠償法上違法の評価を受けるものではなく、当該行政立法の所管行政庁の立法過程における行動が特定の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したという場合に初めて国家賠償法上の違法行為が存在したといい得るのである。そして、公務員の不作為が特定の国民に対する関係で違法な加害行為とされるためには、その国民に対する関係で公務員に作為義務が存することが必要である。

(2) ところで、政令、省令等の行政立法が制定されるのは、現代における行政の肥大化、複雑化を背景とし、多様化、複雑化した行政需要に迅速に対応するためには、法律ないし規則も専門的、技術的とならざるを得ないところ、その内容をすべて法律をもつて定めることが困難であるという事情に基づいているのであり、行政立法が規律すべき対象に対して行う規律の内容、方法については、その授権法律の趣旨・目的から認められる基準の範囲内でとの留保条件付きながら、基本的には所管行政庁の専門性、技術性に基づく裁量的な判断に委ねられているということができる。

このように、行政立法の実体的内容がその多くを所管行政庁の有する専門的、技術的な知識及び能力に基づく裁量的判断に委ねられざるを得ないということにかんがみると、その性質上、所管行政庁の立法過程における行動が特定の国民に対して負う職務上の法的義務に違反して国家賠償法一条一項の適用上違法となるといい得るのは、当該行政立法の実体的な内容が、上位の法律に留保された範囲を明白に逸脱したと認められる場合を除いてあり得ないというべきである。すなわち、当該行政立法の内容が、授権法の一義的な文言に反しているにもかかわらず、所管行政庁があえて当該行政立法を行つたというような場合でなければ、所管行政庁の立法過程における行動が特定の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したということはできない。したがつて、行政立法行為の不作為についていえば、当該行政立法を行わなければならないことが上位の授権法律の一義的な文言から明らかであり、かつ、所管行政庁においても立法の必要性を充分認識しているにもかかわらず、なお、一定の合理的期間を経過しても行政立法をしない場合というような極めて例外的な場合でなければ、所管行政庁の行政立法当事者が特定の国民に対して右行政立法を制定あるいは改廃しなければならない作為義務を負うということはあり得ないというべきである。

(3) これを本件についてみると、法は在監者と外部の者との接見について、四五条一項で「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルトキハ之ヲ許ス」と規定して接見に関して許可制を採用した上で、五〇条において、「接見ノ立会、信書ノ検閲其他接見及ヒ信書ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定し、これを受けた規則一二〇条は、「一四歳未満者ニハ在監者ト接見ヲ為スコトヲ許サス」と定めていたものである。すなわち、命令(規則)に授権した法自体において命令(規則)でいかに規律するかについての基準を具体的に規定していなかつたのであり、命令においていかなる制限を定めるかについては専ら所管行政庁である法務大臣の専門的、技術的な観点からの裁量判断に委ねていたのである。そして、法には一四才未満の幼年者と在監者との接見を許可しなければならないと積極的に命ずる明文の規定はなく、また、規則一二〇条の趣旨は、犯罪者等の拘禁施設という特殊な環境からの幼年者の心情保護という要請にあるが、このような幼年者の心情保護という立法趣旨は現在でも一応の合理性が認められるというべきであるから、規則一二〇条が上位の授権法である法の一義的な文言に違反するものではないことが明らかである。したがつて、法務大臣には規則一二〇条を改廃すべき作為義務が生じていたとはいえず、故に法務大臣が規則一二〇条を改廃しなかつたという行政立法行為は国家賠償法一条一項の適用において違法の評価を受けるべきものではない。

(二) 法務大臣の過失について

法務大臣の本件立法不作為が国家賠償法の適用上違法と評価されないばかりでなく、以下のとおり、平成三年八月七日まで規則一二〇条を改廃しなかつたことについて法務大臣には過失が認められないものである。すなわち、規則一二〇条については、平成三年七月九日に最高裁判所が同条(及び規則一二四条)は被勾留者と一四才未満の幼年者との接見を許さないとする限度において法五〇条の委任の範囲を超えた無効なものであると判示するまでは、実務上有効視されてきたのであつて、右訴訟の第一、二審判決においてもその有効性自体は一応肯定されてきたのである。したがつて、法務大臣が規則一二〇条の違法性を認識し得る可能性は一般的に認められないというべきである。

なお、刑事施設法案に幼年者との接見を原則として制限する規定が置かれなかつたことは確かであるが、長きにわたつて現実に運用されている規則を改廃変更することと将来に向けての政策を盛り込んだ法律案を立案するのとでは自ずとその視点が異なるものであり、現行監獄法及び規則の規定の中に刑事施設法案に規定のない法条があるからといつて、刑事施設法案立案過程において現行の右規定が直ちに違法の評価を受けたことになるものではないことはいうまでもない。したがつて、刑事施設法案の立案過程を通じて法務大臣に規則一二〇条の違法性の認識可能性が生じたとすることはできないというべきである(規則一二〇条の、拘禁施設という特殊な環境から幼年者の心情を保護するという立法趣旨自体は現在においても合理性を失つてはないが、幼年者の心情保護という要請は、必ずしも拘禁施設を管理、運営する者の責任において実現するまでもなく、両親等幼年者を監護、育成する者の責任に委ねる等他の手段によつても担保し得るものであるから、現行監獄法を被収容者の処遇を中心とするものに改めるという刑事施設法案の理念に照らして、接見に来る幼年者の心情保護という要請までをも規定する必要性がないとして、刑事施設法案では、相手方の年齢による接見の制限に関する規定が設けられなかつたものである。)。

そして、規則は、一二〇条で一四才未満の幼年者との接見を制限しつつ、一二四条で拘置所長等の裁量によつて幼年者であつても接見が許されるという制度を採用していたのであるから、規則一二〇条を改廃しなかつたということが、直ちに本件各処分の予見可能性をもたらすものではない。なお、右のように規則一二〇条が存在していても規則一二四条による拘置所長等の弾力的運用の可能性があつたことを否定できない以上、たとえ法務大臣に本件各処分等違法な面会不許可処分についての予見可能性が認められたとしても、法務大臣が規則一二〇条を改廃しなかつたことと本件各処分との間に因果関係があるとは直ちに認められないというべきである。

(三) 消滅時効について

(1) 控訴人は、本件において法務大臣が規則一二〇条を改廃せず放置した不作為をもつて加害行為と捉えているようであるが、控訴人が被つたとする損害であるところの本件各処分による精神的苦痛は、本件各処分のたびに発生するものであるから、加害行為が何であろうと、また加害行為がいつの時点まで継続しようと、加害行為と相当因果関係があるとされる本件各処分による損害の発生により、控訴人に対する不法行為は成立することになる。したがつて、本件における控訴人の損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、本件各処分による不法行為が成立し、かつ、控訴人において法務大臣が規則一二〇条を改廃せず放置した不作為という加害行為の違法性を認識した時点ということになる。

(2) ところで、不法行為における損害賠償請求権の消滅時効の進行に関して「被害者が加害行為の違法性を知る時」という場合の違法性の認識の程度については、加害行為が違法とみられる可能性のあることを被害者が認識したときを意味すると解するのが通説である。

(3) これを本件についてみると、控訴人は、前件訴訟提起前の昭和五八年五月三〇日、法務大臣に対し、在監者と幼年者との面会不許可処分は違憲であるから処分の取消しを求めるとする情願を、同年一〇月二四日、巡閲官に対し同旨の情願を、さらに、昭和五九年二月二七日、法務大臣に対し同旨の請願をしていた。そして、昭和五九年六月一五日、前件訴訟を提起しているが、右訴え提起時点においては、規則一二〇条に基づいて一四才未満の幼年者との面会が不許可とされたことによる損害賠償請求の請求原因として、拘置所長のみならず、上級庁たる法務大臣及び東京矯正管区長の違法行為も主張していた。そして、最高裁判所において、拘置所長には過失ないとして請求が棄却されたところ、控訴人は、直ちに右最高裁判決は拘置所長の上級庁たる法務大臣らの不法行為について判断していないとして、判断の脱漏を理由に再審の申立てをした。このように、控訴人は、本件各処分当時から一貫して規則一二〇条が違憲、違法であることを主張していたのであり、このような控訴人の行動にかんがみれば、少なくとも控訴人は、前件訴訟の訴え提起時点において既に、法務大臣が規則一二〇条を改廃せずにいることが違法とみられる可能性があるとの認識を充分有していたものと推認される。そうすると、本件各処分のうち最も遅くされたのは昭和六一年四月八日にされた処分であるから、本件における損害賠償請求権の消滅時効の起算点は遅くとも昭和六一年四月八日としなければならないものである。

三  当裁判所の判断

1  まず、当審における訴えの追加的変更が許されるか否かについて判断する。

本件の訴えの追加的変更に係る請求は、春子が昭和五八年三月二九日から昭和六一年四月八日までの間二一回にわたり拘置所長に対し控訴人との面会を申請したところ、拘置所長がいずれの申請に対しても不許可の処分をしたため、春子は精神的苦痛を被つたが、これは法務大臣が過失により職務上の義務を怠つたことに起因するものであり、春子は国に対し国家賠償法に基づき損害賠償請求権を有するところ、控訴人は右請求権の譲渡を受けたとして、国に対し損害賠償を求めるものである。それに対し、控訴人が従前から請求しているものは、同一の不許可処分により控訴人が被つた精神的損害につき同じ法務大臣の職務上の義務懈怠を理由として損害賠償を求めるものである。したがつて、法務大臣に職務上の義務懈怠があつたかどうかという点については両請求の争点は共通である。しかしながら、新請求の主要な争点としては、右の点のほか、春子が本件各処分により国家賠償法上保護に値する利益の侵害を受けたといえるか(被控訴人は、法の直接の規律対象とされている在監者である控訴人と外部の一般人である春子とではその法的地位が異なり、在監者でない春子については本件各処分により「保護に値する利益」は侵害されていないとの主張をしているところである。)、また、当時一四歳未満であつた春子が本件各処分により受けたとする精神的苦痛の内容、程度はどのようなものであつたかという点が挙げられるところ、これらの点については原審では審理されておらず、従前の請求についての訴訟資料や証拠資料を利用することは期待できないのである。また、両請求は、確かに、同一の不許可処分に起因するところの損害の賠償を求めるもので、社会的事実として密接に関連する面があるが、従前の請求が国の控訴人に対する不法行為を問題にするものであるのに対し、新請求は国の春子に対する不法行為を問題とするものであつて、本来的には紛争の当事者が異なるものであることを考えると、両請求における利益主張が社会生活上同一の紛争ないし一連の紛争に関するものであると解することも困難といわなければならない。そうすると、本件訴えの変更は、請求の基礎に変更がないという要件を欠くというべきであるから、これを許さないこととする。

2  そこで、控訴人自身が本件各処分により被つたと主張する損害の賠償請求につき判断する。被控訴人は、右損害賠償請求権は時効により消滅していると主張するので、まずこの点について検討する。

ところで、一般に債権は権利を行使し得るときから時効が進行するものであるが、不法行為による損害賠償請求権は、不法行為の後被害者又は法定代理人が直ちに損害及び加害者を知り得ない場合があり、そのために損害賠償請求権を行使し得ない場合が存在するので、「被害者又は其法定代理人カ損害及ヒ加害者ヲ知リタル時ヨリ三年」で消滅時効にかかると規定している(民法七二四条)。このように、この「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」という要件は、損害賠償請求権の行使が可能になつた時点を時効の起算点にするという趣旨で定められたものであるから、ここで「損害」を知るというためには、単に損害の発生を認識するだけではなく、加害者の加害行為が不法であること及びそれによつて損害が発生したことをも認識することを要するというべきである。もつとも、被害者らが権利の行使をすることが可能な程度に認識すればよいのであるから、被害者らが損害及び加害者を知るというためには、必ずしも加害者の行為が不法行為であるとする判決が確定し、かつ、その事実を被害者らが知ることまでを要するものではないというべきである。

そして、本件で控訴人が主張する損害であるところの本件各処分により被つたとされる精神的苦痛なるものは、本件各処分がされるたびに発生するものであり(その意味で不法拘禁のような事例とは異なる。)、かつ、そのたびごとに法務大臣の職務上の義務倦怠(不作為)を違法行為とするところの不法行為が成立することになると解される。面会不許可処分がされた後もなお法務大臣の不作為が継続しているとしても、それは不法行為の成立及びその損害の内容、程度(不許可処分を受け、面会できなかつたことによる精神的苦痛)を左右するものとは考え難い。なお、控訴人が本件不許可処分を受けるたびに被つた精神的苦痛をその各時点(なお、本件各処分中最も遅れてされた処分の発令の日は昭和六一年四月八日である。)において認識していたことは明らかである。

問題は、控訴人が加害者(法務大臣)の行為が不法なものであること及びその行為によつて損害が発生したことの認識をいつの時点で有したといえるかである。この点については、弁論の全趣旨並びに当事者間に争いがない事実を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  控訴人は、昭和五八年五月二七日、ハナとその長女松子が同伴の上、春子と控訴人とが面会することを許可するよう拘置所長に申請したが、同所長は、同年五月二八日、規則一二〇条により右申請を不許可とした。控訴人は、同年五月三〇日、右不許可処分について、規則一二〇条が違憲であることを理由にその取消しを求める情願を行つたが、法務大臣は、同年九月六日、この情願を却下した。

また、控訴人は、同年一〇月二四日、巡閲官に対し、規則一二〇条の違憲性を訴え、東京拘置所における幼年者の面会禁止措置の中止を所長に命じるよう求めたが、巡閲官は、同年一二月七日、この情願を不裁決とした。更に、控訴人は、昭和五九年二月二七日、規則一二〇条が違憲であることを理由に、法務大臣に、同条文の削除を求める請願をしたが、法務大臣は、規則一二〇条を削除するという措置をとらなかつた。

(二)  控訴人は、昭和五九年四月二七日、ハナ又は松子が同伴の上、春子と控訴人とが面会することを許可するよう拘置所長に申請したが、拘置所長は、同年五月二日、規則一二〇条に基づき右申請を不許可とした。そこで、控訴人は、昭和五九年六月一五日、東京地方裁判所に、国及び拘置所長を被告として右処分の取消し及び右処分により生じた損害の賠償を求める訴えを提起した(東京地方裁判所昭和五九年(行ウ)第七二号。なお、処分取消しの訴えはその後取り下げた。)。

(三)  右訴訟の訴状において、控訴人は、「拘置所長の上級庁(矯正管区長及び法務大臣)は、控訴人の再三の面会申請や情願、請願等により、規則一二〇条の違憲性について認識する充分な機会があつた。また昭和五七年に国会上程された『刑事施設法案』に明らかなように、規則一二〇条を維持すべき実体的根拠がすでに消滅していることも充分認識していた。それにもかかわらず東京拘置所長と上級庁は規則一二〇条を漫然と放置し、無限定で恣意的、差別的な運用を続けてきた。したがつて、本件処分について東京拘置所長とその上級庁に故意又は重大な過失があることは明白であり、国家賠償法一条により国は本件処分により生じた損害の賠償責任を免れない。」旨主張した。なお、右訴状は控訴人自身が作成したものである。

(四)  もつとも、右の法務大臣らの過失等についての主張は、その後(遅くとも昭和六二年二月九日の控訴審の第一回口頭弁論期日の時点で)撤回された。

(五)  それ故、前件訴訟の各判決(第一審昭和六一年九月二五日言渡し、第二審昭和六二年一一月二五日言渡し、上告審平成三年七月九日言渡し)においては、右法務大臣らの過失等についての主張に対する判断は何ら示されなかつた。これに対し、控訴人は、前件の最高裁判決後、控訴人は(選択的ないし予備的な)請求の原因として、拘置所長のみならず、その上級庁である矯正管区長及び法務大臣の故意又は過失による権利侵害の事実を主張していたものであるところ、右最高裁判決は右の点について判断を遺脱していると主張して、再審の申立てを行つたが、最高裁はこれを却下した。

右事実によると、控訴人は、前件訴訟提起前に、法務大臣等に対し、規則一二〇条の違憲性を理由に、同条の削除を求める請願等を繰り返した上、前件訴訟の訴状において、法務大臣は規則一二〇条の違憲性について認識する充分な機会があつたにもかかわらず、故意又は過失により右規則を漫然と放置したという事実をも請求原因として主張し、損害賠償を求めたのである。そうすると、本訴で控訴人が主張しているところの法務大臣の行為(不作為)が不法行為であること及びそれに起因して控訴人が損害を受けたことを、控訴人は遅くとも前件訴訟の提起の時点(昭和五九年六月一五日)には充分認識した上、その点をも請求原因の一つとして訴え提起に及んだことが明らかである。そうすると、本件の損害賠償請求権の消滅時効は遅くとも本件各処分のうち最も遅れてされた処分の発令の日である昭和六一年四月八日を起算日として進行するというべきである。なお、控訴人は、不作為の違法が問題とされる場合は当該不作為が止むまで時効は進行しないと主張するが、本件のように本件各処分の時点で損害が発生し、不法行為が成立しているという場合は、不作為自体はその後も継続していたからといつて、それは本件各処分がされた時点で訴えを提起する障害にはならないというべきであるから、控訴人の主張は到底採用できない。また、控訴人は、本件のように法令の違憲性を前提として、その改廃をしないというような公的行為の違法を捉える場合は、裁判所の判決によつて当該行為の違法性が確定するまでは時効が進行しないとか、公的行為が違法であるということを知つたというためには、控訴人が主観的に違法であると考えたというだけでは足りず、権威ある公的機関が違法という判断を下しそれが確定したという事実を知ることが必要であると解すべきであると主張するが、民法七二四条が損害及び加害者を知るという主観的認識を要求しているのは、前記のように、被害者において権利行使が可能となつた時点を時効の起算点としようという趣旨であるから、右の趣旨に従つて被害者のその点の認識内容を判断すべきであつて、本件のような立法不作為の違法性を問題とする場合であつても、権威ある公的機関による違法判断がなければ違法の認識がなく時効が進行しないとはいえないものである。殊に、本件のように、控訴人において、その違法性を充分検討、認識し、かつ、現実にそれを主張して訴え提起に及んだというような場合には、右訴え提起時点において同法七二四条の損害及び加害者を知つたという要件を充足するに至つたと認めるのが相当である。

なお、控訴人は、被控訴人において、一方では法務大臣ですら前件の最高裁判決が下される以前には規則一二〇条の違法性を知らなかつたと主張しながら、他方では一私人にすぎない控訴人が前件の最高裁判決が下される以前に法務大臣の行為の違法性を認識していたとして本件損害賠償請求権の消滅時効の完成を主張するのは、信義則に違反するないし権利濫用に当たり、許されないと主張するが、前記のように、控訴人は法務大臣の行為(不作為)の違法性を充分認識した上前件訴訟において右の点も請求原因として主張して損害賠償請求に及んでいるのであるから、たとえその当時の時点に法務大臣が規則一二〇条の違法性を認識していなかつたとしても、被控訴人が控訴人の損害賠償請求権の消滅時効を主張することが、信義則違反ないし権利の濫用に当たるとは到底いえないというべきである。

そうすると、控訴人自身が本件各処分により被つたとする精神的苦痛に基づく損害の賠償請求権は、本件各処分のうち最も遅くされた処分の発令の日である昭和六一年四月八日の翌日から計算して三年を経過した時点ですべて消滅時効が完成していたということになるから、控訴人が本件訴訟を提起した平成四年二月一日の時点では既に消滅していたといわなければならない。

3  よつて、その余の点を判断するまでもなく、控訴人の請求は理由がないことになる。

四  結論

よつて、控訴人の請求を一部認容した原判決は失当であるから、原判決中被控訴人敗訴部分を取り消し、右取消部分に関する控訴人の請求を棄却し、控訴人の控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官 福島節男)

裁判官 大坪 丘は、転補につき、署名捺印することができない。

(裁判長裁判官 宍戸達徳)

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